ただ起きている

生命はみな
それぞれのカタチで生きている

人は人の感覚で生き
鳥は鳥の感覚で生き
魚は魚の感覚で生きている

そこには
それぞれの都合があり
それぞれの生きる動きがある

生きるということの中で
奪うこともあれば
奪われることもある

食べることも
逃げることも
守ることも
ただ生きるための動きとして起きている

そこに
残酷だとか
尊いだとか
正しいだとか
間違っているだとか
そういう言葉を置いているのは
あとから見ている側なのかもしれない

ライオンがシマウマの子を食べることも
人が工場畜産の肉を食べることも
生命が生命を取り込んで生きているという意味では
ただ起きていることに見える

もし人より上位の存在がいて
人を同じように扱い
養殖して食べたとしても
そこに特別な意味はないのかもしれない

そう考えると
善も悪も
優しさも残酷さも
見る側の主観の中で揺れているようにも見える

ゼロから生まれ
食べて
動いて
老化して
最後はゼロになる

その流れの中で
それぞれがそれぞれの現実を生きている

止めようとしても
整えようとしても
生命はまず
生きる成り立ちの中にいる

今日は
そのことをただ観ていた