世界に寄り添い結果はゆだねる│この身も世界の一部として生きる

自分を中心に置きすぎると、生きることはとても苦しくなる。

思い通りにしたい
失いたくない
間違えたくない
報われたい

その気持ちはとても自然なものだと思います。

けれど、すべてを自分の願いから見ようとすると、目の前の出来事が自分に都合よく動くべきもののように見えてきます。

人の反応も
結果も
時間の流れも
生きているものの動きも

本当は、自分だけのものではないというのに。

目の前にあるものもすべて世界

自分以外を世界と見ると、目の前にあるものの見え方が少し変わります。


空気


植物
動物
人間
地球
宇宙

生命も、無機物も、自分を取り巻く環境も、すべて世界の一部です。

ふだんは、それらを自分の外側にあるものとして見ています。

使うもの
関わる相手
通り過ぎる景色
自分に影響を与える環境

けれど、それらはただ自分のために置かれているわけではありません。

それぞれが、それぞれの条件の中で、ただそこにある。

自分もまた、その中にあるひとつの生命。

世界の外から世界を見ているのではなく、世界の中で、しばらく呼吸している存在です。

中心を少しずらしてみる

鉢植えに水をやるとき、人はその植物の様子を見ます。

土が乾いているのか
葉がしおれていないか
日が強すぎないか
風が足りているか

自分が水をやりたいから水をやるのではなく、目の前の植物にとって、いま何が必要かを見ようとします。

それは、自分の中心を少しだけ外へずらすことに似ている。

自分の気分ではなく、目の前の生命の状態を見る。
自分の願いではなく、その場の条件を見る
自分が満たされるかどうかだけではなく、世界の中で何が起きているかを見る

そうすると、行動の向きが少し変わります。

自分のために世界を動かそうとするのではなく、世界の中にあるものへ、少し寄り添うようになります。

これが中心をずらすという事です。

寄り添うことと、結果を握ることは違う

目の前の生命に寄り添うことは、結果まで決めることではありません。

水をやることはできます
土を整えることもできます
日当たりを変えることもできます

けれど、その植物がどう育つかまでは、自分だけでは決められません。

気温があり
湿度があり
土の中の状態があります
その植物が持っている力もあり
見えないところで起きている変化にも影響されます

できることをしたあと、結果は世界の流れの中にある。

人との関わりも、少し似ています。

言葉を選ぶことはできる
手を貸すこともできる
相手の負担が少し軽くなる方を選ぶこともできる

けれど、その先で相手がどう受け取るか、何が変わるか、どんな結果になるかまでは、自分だけで決められません。

善いことをしたのだからいつか自分にも返ってきてほしい。

そう思うこともあるかもしれません。

けれど、その思いが強くなると、行いは少しずつ交換に近づいていきます。

差し出したものと、返ってくるものを心の中で結びつけ始めるからです。

誰かの負担が少し軽くなる方を選ぶことはできます。

けれど、それがどう返ってくるかまでは握らない。

返ってくることを願いすぎると、寄り添うことは、いつの間にか見返りを待つことに変わっていきます。

寄り添うことは、結果を支配することではないのだから。

世界は願いを知らず、ただ理で成り立つ

世界は願いを知らず、ただ理で成り立っています。

うまくいってほしいという思い
失いたくないという不安
こうなるはずだという予測

それらは、自分の中では確かなものです。

けれど、その確かさだけで、世界が動くわけではありません。

結果は、無数の条件が重なった先に現れます。

自分の選択も、その条件のひとつ
自分の行動も、その条件のひとつ

けれど、すべてではありません。

だからこそ、自分の願いが叶わなかったときに、世界を責めなくてもいいのだと思います。

自分を責め続けなくてもいいのだと思います。

ただ、そのときの条件の中で、1つの結果が成り立った。

そう見ることは、冷たい諦めではありません。

世界を、自分の都合だけで見ないための静かな距離感となります。

自分も世界の一部としてただそこにある

自分以外を世界と見ると、自分は世界の外に立つものではなくなります。

目の前の生命も
机も
水も
空気も
光も
そして、この身も

すべてが世界の中にある。

自分だけが中心にいるわけではありません。

けれど、自分が消えるわけでもありません。

小さな生命として、世界の中にいる。
水を受け取り、食べものを受け取り、空気を吸い、他の生命や人の動きの中で生きている。

その事実は、自虐ではありません。

自分を低く見ることでもありません。

ただ、もとの位置へ戻ること。

中心を自分だけに置きすぎると、起きることのすべてが、自分に向かってくるように見えます。

けれど、中心を少し世界へずらすと、起きていることは、自分だけのためでも、自分だけのせいでもないと見えてきます。

そのとき、生きる事が少し軽くなるのを実感すると思います。

世界に寄り添い、結果はゆだねる

目の前の生命を見る
目の前の人を見る
その場の状態を見る
自分にできることを選ぶ

そこまでは、自分の側にあります。

けれど、その先の結果まで握らない。

相手がどう受け取るか
何が変わるか
どこへ流れていくか

そこから先は、世界の側にあります。

自分にある中心を、少し世界へずらす
目の前の生命に寄り添う
自分にできることを選び、行動する
そして、結果は世界の流れにゆだねる

それに気が付けば、この身もまた世界の外にあるものではなく、世界の一部として見えてきます。

水を受け取り、食べものを受け取り、空気を吸い、他の生命や人の動きの中で、しばらくここにある。

この身は、世界から切り離された中心ではなく、世界の中にある小さなひとつの生命。

自分が終われば、自分に見えていた世界は終わるのかもしれません。

けれど、世界そのものは続いていきます。

私が終わっても、世界は続く。

この身も世界の一部なら、その終わりもまた、世界の流れの中で、形を変えていくことなのだと思います。

それに気づくと、死への恐れも少し違って見えてくる。

この身も世界の一部として、しばらくここにある。

その間に、目の前の生命に寄り添い、自分にできることを選び、結果は世界にゆだねる。

その静かな位置に戻ること。

そこに、Zero Neutralの核心があるのだと思います。