死に、決まった涙はない

人の死は
絶対的な悲しみなのだろうか

知っている人の死には
心が痛むことがある

近くにいた人
言葉を交わした人
時間を重ねた人

その人がいなくなったとき
胸の奥に
重いものが残ることがある

けれど
会ったことのない人の死には
何も感じないこともある

どこかで誰かが亡くなっていても
日々はそのまま続いていく

また
深く傷つけられた相手や
苦しみを与えてきた相手の死には
悲しみとは違う反応が
起こることもある

それが良いとか
悪いとかではなく

ただ
心はそう動くことがある

死そのものに
決まった涙があるわけではない

悲しいのは
死そのものなのだろうか

それとも
そこに重ねた記憶や
関係や
失ったという思いを
こちらの心が悲しんでいるのだろうか

桜が散るとき
桜はただ散っている

そこに
寂しさを重ねる人もいる

美しさを重ねる人もいる

何も感じずに
通り過ぎる人もいる

散ることそのものは
ただ起きている

死も
それに近いのかもしれない

生まれたものが
いつか終わる

動いていたものが
静かになる

そこにあるのは
ただひとつの出来事で

その出来事に
悲しみを重ねているのは
心の方なのかもしれない

死が悲しいのではない

死に触れた心が
それぞれの記憶の中で
それぞれの色をつけている

だから
人の死は必ず悲しいものだと
言い切ることはできない

同じ死を見ても
心の動きは同じではない

悲しみになることもある

何も生まれないこともある

安堵になることもある

別の感情になることもある

死はただ
起きている

それをどう受け取るかは
こちらの内側で起きている

今日は
死という出来事に
心が勝手に涙を重ねているのを

ただ観ていた