選択したのは自分でも、結果は自分だけが決めたわけではありません。
後悔が強くなると、あのときの自分が、その後に起きたすべてを決めたように思えてきます。
別の道を選んでいれば。
もう少し考えていれば。
あの場で違う言葉を選んでいれば。
けれど、選択の先には、自分には見えなかった条件がいくつもあります。
結果は、ひとつの判断だけで決まるものではないのですから。
選び行動することと、結果が出ることは別
種をまくとき、人はできるだけ良い土を選びます。
水をやり、日当たりを見て、育つことを願います。
そこまでは、自分で選び、行動する。
けれど、芽が出るかどうかは、その先の条件にも左右されます。
気温。
日照。
雨。
虫。
微生物。
土の中の状態。
目には見えないものも含めて、多くのことが複雑に絡み合います。
芽が出なかったとき、もっと水をやればよかったのか。
植える場所を変えればよかったのか。
そんなふうに考えることは自然だと思います。
ただ、種をまいた人が、芽の出なかった理由をすべて背負う必要はありません。
種をまくことはできても、育つことのすべては決められないからです。
選択のあとに起きることも、それに少し似ています。
後悔は、結果を知っている今から始まる
後悔するときは、結果を知った今の目で、過去の選択を見ています。
あのときの自分は、その結果を知りませんでした。
見えていたもの。
持っていた情報。
そのときの気持ちや余裕。
その中から、ひとつを選んだ。
後から見れば、別の選択が良く見えることもあります。
選ばなかった道には、失敗も遠回りもなかったように思えます。
けれど、本当にそうだったかは分かりません。
選ばなかった道にも、別の条件があり、別の人がいて、別のタイミングがあり、別の出来事が重なっていたはずだから。
そこにも、自分には見えていない迷いや、思いどおりにならない流れがあったのかもしれません。
過去の自分は、未来を知ったうえで選んだわけではないという事です。
結果を決めるのは、誰か一人ではない
自分の行動が、結果に影響することはあります。
だから、振り返ることにも意味はある。
次は少し早く準備する。
同じことが起きたら、違う言葉を選ぶ。
できることを見つけて、次の行動に変える。
そのために過去を見ることは、これからの選択を少し整えることにもつながります。
けれど、結果を一人の責任として抱え込みすぎると、振り返りはいつの間にか、自分を責め続ける時間になってしまう。
結果は、自分の選択だけでなく、周囲の状況や、相手の考え、偶然の重なり、時の流れの中で進みます。
誰か一人が決めているわけではありません。
世界は願いを知らず、ただ理で成り立つ。
うまくいってほしいという思いも、失いたくないという思いも、そのまま結果を決めるものではありません。
ただ、そのときに重なった条件の中で、ひとつの結果が現れるだけなのですから。
過去の自分に、結果まで背負わせない
後悔は、無理に消そうとしなくてもいいのかもしれません。
あのときに別のことができたかもしれない。
そう思うこと自体は、これからを少し整えることにもつながります。
ただ、その思いが、過去の自分を責めるためだけに残るなら、少し離れて見てもいい。
選んだこと。
行動したこと。
そこまでは、自分の手の中にありました。
その先に起きたことまで、すべてを自分の選択のせいにしなくていい。
種をまいたあと、土の中で何が起きているかまでは見えません。
人生の選択も、それに少し似ています。
できることをしたあと、結果はもう、自分だけのものではないのですから。
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