人として生まれたことに意味はあるのか

人として生まれたことに
意味はあるのかと
考えることがある

生まれただけで
何か役目があるのか

人だけに与えられた
特別な理由があるのか

そうした問いは
はっきりした答えを持たないまま
残り続ける

けれど
人として生まれたことには
ひとつ
見えてくる特徴がある

それは
ただ生きることだけに
すべての時間を使わずにすむことがある
ということ

多くの生命は
今日を生きるために
食を探し
危険を避け
生をつなぐことに
時間を費やしている

けれど
人は
立ち止まることができる

考えることができる

迷うことができる

そして
自分以外の生命のために
何かをすることもできる

もちろん
考えるからこそ
悩みも生まれる

不安も生まれる

苦しみも生まれる

人であることは
楽であることと
同じではない

それでも
ただ生きのびることだけではない場所に
立てているのもまた
人なのだと思う

壊すこともできる

奪うこともできる

支えることもできる

寄り添うこともできる

悪魔のようにもなれるし
天使のようにもなれる

どちらにも向かえるのが
人なのかもしれない

そう考えると
人として生まれた意味は
特別な使命のようなものではなく

他の生命に対して
どう在るかを選べることに
あるのかもしれない

世界は願いを知らず
ただ理で成り立っている

その中で
人だけが特別に守られているわけではない

それでも
その理の中で
他の生命にやさしくできる余白を
持てることがある

もし
人として生まれたことに
意味があるのだとしたら

それは
自分のためだけに生きることではなく
他の生命に寄り添える側に
立てることなのかもしれない

立派であるためではなく

報われるためでもなく

ただ
そう生きたほうが
自然に見えるから

今日は
人として生まれたことに
意味があるのだとすれば

それは
他の生命に寄り添えることなのかもしれないと
ただ観ていた