人生は良いことをするゲームなのか│見返りを手放した先で

もし人生をひとつのゲームのように見るなら、良いことをするほど先へ進めるものなのかもしれません。

人に親切にする
争いを避ける
奪わない
傷つけない
できるだけ穏やかに関わる

そうしたことは、たしかに生き方を少し整えていきます。
荒れた方向へ向かうより、良いことのほうへ向かうほうが、世界の見え方も軽くなるように感じます。

けれど、良いことを積み重ねていくだけでは、どこかで足が止まります。
なぜなら、良いことをしているつもりでも、その内側では見返りを求めていたり、相手とこちらをはっきり分けたまま動いていたり、目の前の現実を受け入れずに理想だけを追っていたりすることがあるからです。

そう考えると、このゲームの本当の難しさは、良いことを増やすことより、その動機のほうにあるのかもしれません。

良いことをしても、どこかで見返りを求めている

良いことをすると、何かが返ってきてほしくなります。

感謝されたい
認められたい
報われたい
少なくとも、損はしたくない

その気持ちは、とても自然なものです。
けれど、その見返りが前に出るほど、良いことは少しずつ交換に近づいていきます。

親切にしたのに返ってこない
支えたのに理解されない
尽くしたのに報われない

そうなると、良いことをしたはずなのに、心は静かになりません。
むしろ、期待が裏切られたぶんだけ重くなります。

だから、良いことをするという行為そのものより、見返りを求める力がどれくらい入っているのかを見ることのほうが大切なのだと思います。
返ってこなくても崩れないところまでいけたとき、ようやく行為そのものが少し静かになります。

他の生命とこちらを、分けすぎているのかもしれない

人はどうしても、こちらと向こうを分けます。

助ける側と助けられる側
与える側と受け取る側
正しい側とそうでない側

その分け方が強いほど、良いことにも少し力が入ります。
こちらが上に立ってしまったり、相手を変えようとしすぎたり、自分の正しさを含んだまま差し出してしまったりすることがあります。

けれど、本当は、どちらも同じように不安を抱え、同じように傷つき、同じように生きようとしているだけなのかもしれません。
そう見えてくると、良いことをしているという感覚そのものが少し薄くなります。

特別に善いことをしているのではなく、ただ同じ側にいるものとして自然に動いている。
そこまで分け目が弱まると、行為はもっと軽くなります。

良いことをしたという手応えが薄いほど、かえって静かな行為になることがあります。
そこには、誇る感じも、救う感じも、あまり残りません。

今この瞬間を受け入れられないと、良いことも苦しくなる

良いことをしたいと思うとき、同時に、現実はこうあるべきだという理想も強くなりやすいものです。

もっと優しくあるべき
もっと正しく進むべき
もっと争いのない形になるべき

けれど、現実はいつも思った通りには進みません。

善意が通じないこともあります
良い行いが誤解されることもあります
何をしても、荒れたままの場面もあります

そのとき、目の前の現実を受け入れられないと、良いことをしようとする気持ちそのものが苦しくなります

こんなはずではなかった
これだけやったのに
なぜ変わらないのか

そうやって、良いことはいつの間にか重たい努力に変わっていきます。

だから大事なのは、何もしないことではなく、思い通りにならない現実も含めていったん受け取ることなのだと思います。
いま起きていることをそのまま見たうえで、それでもできることをする。
その順番でないと、善さはすぐに理想の押しつけになってしまいます。

本当に進んでいるのは、良いことが自然になったときかもしれない

もし人生が良いことをするゲームなのだとしたら、先へ進んでいるのは、良いことの数が増えたときだけではないのだと思います。

見返りがなくても崩れないこと
こちらと向こうを分けすぎないこと
思い通りではない今も、そのまま受け取りながら動けること

そうしたものが少しずつ整っていくと、良いことは努力よりも自然に近づいていきます。
無理に善くあろうとしなくても、荒らさないほうへ向きやすくなる。
奪わないほうへ向きやすくなる。
押しつけないほうへ向きやすくなる。

そこまでいくと、もうレベルを上げている感じすら薄くなります。
進んでいるというより、余計な力が抜けているだけなのかもしれません。

人生の終わりに近づいたとき、本当に残るのは、何を得たかより、どれだけ軽くいられたかのほうなのだと思います。
良いことを積み重ねたという記録より、見返りを手放し、分けすぎず、今を受け取りながら生きていたという静かさのほうが深く残るのかもしれません。

そうして、一日ずつ軽く終えていく。
善さを積み上げるというより、
重ねすぎたものを少しずつ下ろしながら。

ゼロニュートラル