損をしたと感じるとき、失ったものだけが強く残ります。
投資で減ったお金。
時間を使ったのに返ってこなかったもの。
譲ったあとに、自分だけが我慢したように思えること。
このまま終わらせたくない。
せめて、減った分だけでも戻したい。
そう思うことは自然だと思います。
けれど、取り返したい気持ちが強くなると、そのあとの選択まで、すでに失ったものに引かれていくことがあります。
落としたものを探しているあいだに
駅のホームで、小さな硬貨を落としたとします。
足元を見て、少し離れた場所まで探しに行く。
けれど、なかなか見つかりません。
そうしているあいだに、乗るはずだった電車が近づいてきます。
ここまで探したのだから。
見つけないまま離れるのはもったいない。
そう思うと、電車に乗ることより、落とした硬貨の方が大きく見えてくることがあります。
硬貨を探すことが間違いなのではありません。
失ったものを取り戻したいと思うことも、自然なことです。
ただ、そのときには、もっと大切な事が目の前にあるかもしれません。
もともと向かおうとしていた場所。
そこで過ごすはずだった時間。
次の電車を待つことによって変わる、その日の流れ。
落としたものだけを見続けていると、今あるものまで見えにくくなることがあるという事です。
損をしたことと、次に選ぶことは別
損をしたあとには、早く元に戻したい気持ちが生まれます。
投資で減った額を、次の取引で取り返したくなる。
譲った時間のぶんだけ、次は相手にも返してほしくなる。
ここまで続けてきたのだからと、もう合わなくなった場所にも残り続けてしまう。
過去に失ったものを埋めようとすると、次の選択は、今の状況よりも過去の損に引かれやすくなります。
けれど、失ったことと、これからどうするかは、本来は別の話。
投資で損をしたなら、その損は損としてあります。
譲ったあとに疲れが残ったなら、その疲れもそのままあります。
無理に意味を見つけなくてもいい。
損を、良い経験だったと言い換える必要もありません。
ただ、過去に減ったものだけを取り戻すために、次の選択まで急がなくてもいいのだと思います。
選ぶことと、返ってくることは無関係
自分にできるのは、選ぶことと、行動すること。
投じるかどうかを考える。
引き受けるかどうかを決める。
譲るのか、断るのかを選ぶ。
そこまでは、自分の側にあります。
けれど、その先に何が返ってくるかは、自分ひとりでは決められません。
相手の考え。
周囲の状況。
あとから変わる条件。
偶然のように見える出来事。
時間の流れ。
結果は、そうした多くのものが複雑に絡み合った先に現れます。
世界は願いを知らず、ただ理で成り立つ。
増えてほしい。
損したくない。
報われてほしい。
失いたくない。
そうした思いは、選ぶ理由にはなります。
けれど、その願いだけで、結果まで決まるわけではありません。
過去の損を、次の選択の中心にしない
損を取り返そうとする気持ちが、自分を動かすこともあります。
次はもう少し慎重に考える。
同じことを繰り返さない。
必要なら、やり方を変える。
そのために振り返ることには意味があります。
ただ、過去の損を埋めることだけが目的になると、今ある状況は見えにくくなります。
その場で、本当に続ける必要があるのか。
今の自分に無理がないのか。
誰かを押しのけてまで、取り返さなければならないのか。
少し離れて見ると、別の選び方が残っていることがあります。
自分だけの損を埋めるためではなく、誰かの負担が少し軽くなる方を選べるときもあります。
それは、自分を後回しにすることではありません。
過去の損に引かれすぎず、今ある流れを乱しすぎないための選び方です。
落としたものを、そのままにすることもある
落とした硬貨は、見つからないこともあるでしょう。
そのまま探し続けることもできる。
電車に乗ることもできる。
次の電車を待つこともできる。
どれを選ぶかは、そのときの状況によって変わります。
ただ、落としたものがあるからといって、これからのすべてを、その損に決めさせなくてもいい。
損をした気持ちは、すぐには消えないかもしれません。
悔しさが残ることもあります。
それでも、失ったものを失ったまま置いて、次に何を選ぶかを見直すことはできます。
選ぶこと。
行動すること。
必要なら、立ち止まること。
そこまでは、自分の手の中にあります。
その先に返ってくるものまで、すべてを握ろうとしない。
過去の現実を変えることはできないのですから、それに囚われず、結果は世界の流れにゆだねてしまう。
そうすると、損という感情が残っていても、その感情に引かれて動く力が、少しずつ弱まっていく事があります。
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