静かなものは
奪うことではなく
差し出す方にある
足りないと思うほど
人は奪いたくなる
苦しいと思うほど
人は足を引っ張りたくなる
それはきっと
何かが足りないからではなく
足りないという感覚に
強くのみ込まれているからなのだと思う
足りなさに触れているとき
目は外に向く
あれがほしい
これを失いたくない
自分だけが損をしたくない
そうやって
少しずつ力が入っていく
その力は
何かを手に入れるためのものにも見えるけれど
同時に
自分を苦しくする力でもある
奪うことは
満たされるための動きに見えて
実際には
足りないという感覚を
際限なく深めてしまう動きなのかもしれない
足を引っ張ることも同じで
誰かを下げれば
自分が少し上がれるように見える
でもそこにあるのは
安心ではなく
誰かと比べることを
やめられなくなる苦しさなのだと思う
静かなものは
そういう動きの外にある
何かを強くつかむより
少しゆるめること
奪うより
そっと差し出すこと
足を引っ張るより
静かに手を差し伸べること
その方が
うまく生きられるからではない
ただ
その方が
心の中に余計な濁りを増やさない
与えることが正しいとか
やさしくあるべきだとか
そういう話でもない
ただ
差し出せるときの自分の方が
奪おうとしたり
足を引っ張ろうとしたりしているときより
少し静かでいられる
それだけで
もう十分なのだと思う
足りない日もある
苦しい日もある
それでも
奪わなくていい
足を引っ張らなくていい
ただ少し
差し出す方へ戻ればいい
その小さな向きの違いの中に
静けさはあるのかもしれない
今日は
足りないものを追うより
差し出す方を選ぶ事で
心が少し静かになっていくのを
ただ観ていた
