流れるままに生きる

川には
名前がある

けれど
その名前で呼ばれている川は
いつ見ても
同じ水ではない

流れてくる水は変わり続け
とどまることがない

名前は残っていても
中身はずっと入れ替わっている

人も
少し似ているのかもしれない

生まれたときに名前がつき
その名前のまま
同じ人として扱われていく

けれど
本当に同じなのかと見ると
少し曖昧になる

昨日の考えと
今日の考えは違う

昨日のからだと
今日のからだも違う

気分も
記憶も
関わる人も
少しずつ変わっていく

変わり続けているのに
名前だけは残る

その名前があることで
社会は成り立っている

区別がつき
約束ができ
責任も置ける

だから
名前は必要なのだと思う

けれど
必要だからといって
本質まで固定されるわけではない

名前は
流れに貼られた印のようなものなのかもしれない

そこに
ひとつの形を見ていても
中ではずっと
変化が続いている

同じ人として扱われることで
自分もまた
同じでいなければならないように感じることがある

変わってはいけない
ぶれてはいけない
最初から最後まで
一つでいなければならない

けれど
もともと流れているものに
同じままであることを求めるほうが
無理なのかもしれない

川は
名前があっても
流れを止めない

人もまた
名前があっても
変わり続けている

そう考えると
いまの自分に
強く固定された形を求めなくても
いいのかもしれない

変わることは
崩れることではなく

世界の理に従い
ただ流れているだけなのかもしれない

今日は
名前を持ちながら
変わり続けているものとしての生を
ただ観ていた