理想と現実の狭間で苦しむ人へ|思い通りにならないことを観る

理想と現実の狭間で苦しくなるのは、自分の見立てが、そのまま現実になるはずだと感じているからかもしれません。

こうなるはずだった。
こう進むと思っていた。
ここまで考えたのだから、うまくいくはずだった。

口では、すべてが思い通りになるわけではないと分かっています。

けれど、心のどこかで、自分の予測や計画が正しく、その通りに進まない現実の方が間違っているように感じてしまうことがあります。

そのずれが、苦しさになります。

予定は、自分の中にある

朝、今日一日の流れを頭の中で組み立てることがあります。

この時間に家を出る。
この道を通る。
この順番で用事を済ませる。
ここまで進めば、今日はうまくいく。

そうやって予定を立てることは、自然なことです。

予定があるから、動きやすくなる。
考えておくから、無駄を減らせる。
見通しを持つことで、少し安心できる。

けれど、外へ出た瞬間から、その予定は自分だけのものではなくなります。

道が混んでいる。
電車が遅れている。
相手の都合が変わる。
天気が崩れる。
思っていたより、自分の体が重い。

ひとつひとつは小さなことでも、それらが重なるだけで、予定は簡単に形を変えていきます。

予定を立てたことが間違いだったわけではありません。
考えたことが無意味だったわけでもありません。

ただ、予定は自分の中にあり、現実は世界の中にあります。

その二つは、同じものではありません。

自分の見立ては、世界そのものではない

人は、自分が見えている範囲で考えます。

今ある情報。
過去の経験。
そのときの感情。
これまでうまくいったやり方。

それらをもとに、こうすればうまくいくはずだと見立てます。

けれど、その見立ては、世界そのものではありません。

見えていない条件があります。
知らない事情があります。
他の人の選択があります。
時間の流れがあります。

自分の中では筋が通っていても、世界はその筋書きの通りに動くわけではありません。

それでも、思い通りにならなかったとき、人はどこかで驚きます。

なぜ、そうならなかったのか。
なぜ、自分の考えた通りに進まなかったのか。
なぜ、これだけ考えたのに現実は違う方へ行ったのか。

その驚きの奥には、自分の見立てが、結果に届くはずだったという思いがあるのかもしれません。

選ぶことと、現実が動くことは別

選ぶことはできます。

考えることもできます。
準備することもできます。
行動することもできます。

そこまでは、自分の側にあります。

けれど、その先に何が起きるかまでは、自分だけで決められません。

こちらが選んだあとにも、周りの状況は動いています。
相手の考えも変わります。
知らなかった条件が現れることもあります。
偶然のように見える出来事が、流れを変えることもあります。

自分の行動は、結果に影響します。

けれど、結果のすべてではありません。

そこを見失うと、自分の選択が、世界全体を動かしているように感じてしまいます。

そして、思い通りにならなかった現実まで、自分の手の中にあったものとして抱え込んでしまいます。

世界は願いを知らず、ただ理で成り立っている

世界は願いを知らず、ただ理で成り立っています。

うまくいってほしいという思い。
失敗したくないという不安。
こうなるはずだという予測。

それらは、自分の中では確かなものです。

けれど、その確かさが、そのまま現実を決めるわけではありません。

現実は、こちらの願いだけで動いているのではなく、そのときに重なった条件の中で進んでいきます。

自分の選択も、その条件のひとつです。

けれど、すべてではありません。

だから、思い通りにならなかったことを、すぐに自分の失敗として閉じなくてもいいのだと思います。

それは、理想が間違っていたということではなく、現実には自分の見えていなかったものも含まれていたということです。

自分が中心ではないことは、冷たい話ではない

自分の思い通りに世界が動かない。

そう見ることは、少し寂しく感じるかもしれません。

自分がいなくても、朝は来ます。
街は動きます。
誰かは笑い、誰かは働き、季節は変わっていきます。

私が終わっても、世界は続いていきます。

それは、自分に価値がないということではありません。

ただ、ひとつの生命は、世界の中心として置かれているわけではないということです。

水を受け取り、食べものを受け取り、空気を吸い、他の生命や人の動きの中で、しばらく生きている。

その事実は、自虐ではありません。

自分を小さく傷つけるための見方でもありません。

むしろ、自分に背負わせすぎていたものを、世界の側へ戻す見方です。

すべてを自分で決めているわけではない。
現実まで、自分の手の中にあったわけではない。

そう見ることで、自分を小さくするのではなく、もとの大きさに戻していくのだと思います。

思い通りにならないことをただ観ればいい

理想を持つことはできます。

計画を立てることもできます。
選ぶこともできます。
行動することもできます。

けれど、現実がそのまま理想に従うとは限りません。

思い通りにならなかったとき、すぐに変えようとする前に、ただ観てみる。

何が起きたのか。
どこまでが自分の側にあったのか。
どこから先が、自分だけでは決められない流れだったのか。

そこを少し分けて見るだけでも、現実の重さは変わります。

理想に届かなかった現実を、失敗として閉じなくてもいい。

自分の見立てから外れた出来事を、すぐに悪いものとして抱えなくてもいい。

ただ、そうなったこととして観る。

選んだこと。
行動したこと。
見直せること。

そこまでは、自分の側にあります。

その先に現れるものは、世界の流れの中にあります。

理想と現実の狭間で苦しいとき、現実を思い通りに変えられないことが、心を縛っているように見えることがあります。

けれど、結果まで握らなくていいと見えたとき、その重さは少し変わります。

小さな生命として、選び、行動し、あとは世界の流れを観る。

思い通りにならないことは、敗北ではありません。

世界が、自分の見立てより広かったというだけなのかもしれません。


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