食べる鬼 食べない鬼

鬼滅の刃を読み返すたび
食べることについて
少し立ち止まることがある

鬼が人を食うことは
恐ろしいものとして描かれる

けれど
人もまた
ほかの動物を食べて生きている

そう見ると
その違いは
思っているほど遠くないのかもしれないと感じることがある

人は
人の命を特別に重く見る

それは自然なことだと思う

けれど
人が尊いと思っているのは
人の側だけなのかもしれない

鳥も
魚も
牛も
豚も
それぞれに
死にたくない
生きたい
という動きの中にいる

自分の命がいちばん大事なのは
人だけではない

それぞれの生命が
それぞれの生を守ろうとしている

そう考えると
人だけが特別に正しく
ほかはそうではないと
簡単には言えなくなる

鬼滅の刃の中には
食べる側だけではなく
食べないほうへ向かおうとする姿もある

強い欲をそのまま通すのではなく
それを止めようとする側がいる

そこに
少し惹かれる

生きるために
ほかの生命を取り込む

その構造の中では
人もまた
完全に外側にはいない

それでも
できるなら
無駄に食べないほうがいい

必要以上に奪わないほうがいい

そういう向きは
たしかにあると思う

静整食も
少しそこへ向かっている

豪華に食べることより
刺激を増やすことより
からだを維持するために要る分へ近づいていく

食べる量を減らすことだけではなく
無駄にほかの生命を取り込まないほうへ
少しずつ向いていく感じ

食べることを否定したいわけではない

完全に何も奪わずに
生きることは難しい

けれど
奪わずに済むなら
そのほうがいい

少なく済むなら
そのほうがいい

その感覚は
きれいごとではなく
静かな自然さとしてある気がする

鬼だけが恐ろしく
人だけが正しいという見え方も
そこでは少し揺らぐ

生きるために
ほかの生命に支えられていることを知りながら
できるだけ無駄に奪わないほうへ向かう

その向きの中に
静整食ともつながる
小さなやさしさがあるのかもしれない

今日は
食べることの中にある奪う構造と
それでも食べないほうへ向かおうとする感覚を
ただ観ていた