都合よく雑味を削るほど、命の芯は薄れていく

食べものを見ていると
美味しくするために
捨てられいるものが少なくないと感じる

玄米は外側を落として白米になり
酒は削られて澄んでいく

重さを減らし
雑味を減らし
食べやすく
飲みやすく

そうやって
口に入りやすい形へ整えられていく

そこには
食を楽しむための工夫がある

人は
より軽く
より美味しく
より心地よく食べられるものを
求めてきたのだと思う

ただ
その流れの中では
からだにとって必要なものまで
一緒に落としていることがある

静整食は
その削られていく流れを
ただ見ている

もっと美味しくする方向ではなく
もっと残す方向

もっと刺激を強くする方向ではなく
もっと無駄を減らす方向

からだに入れるものを
味のために削っていくのではなく
必要なものを
なるべくそのまま受け取る方向

豊かさを足していく食ではなく
むしろ
余計に削らないための感覚に近い

食べることに
大きな満足を求めるのではなく
維持のために静かに整える

そのために
何を足すかより
何を捨てすぎているのかを見る

そう考えると
特別な方法というより
食べものが削られていく流れの中で
なるべく残して受け取ろうとする姿勢に近いのかもしれない

今日は
美味しさのために捨てられていく流れを
ただ観ていた