ドラゴンボールに出てくる
一粒で十日分の空腹を満たす仙豆のようなものが
本当にあればいいと思うことがある
それを一粒口にするだけで
しばらく何も考えずに済むのなら
ずいぶん静かだと思う
何を食べるか
どれを選ぶか
何が美味しいか
どこで食べるか
そういうことを
何度もくり返し考えなくてよくなる
食べることに
楽しさを見出す人がいるのはわかる
けれど
自分の中では
そこに深く価値を置けない感覚がある
むしろ
食べなければ保てないこのからだのほうを
少し面倒に感じる
生きるためには
ほかの生命を取り込むしかない
同じように
生きたいという動きの中にあるものを
こちらが食べることでしか維持できない
その仕組みを思うと
食を無邪気に楽しむことが
少し難しくなる
だからこそ
一粒で十日もてばいい
と思ってしまう
もちろん
現実のからだは
そうはいかない
水だけでも足りないし
何も食べずに保てるわけでもない
だから
本当に必要なのは
食べることをやめることではなく
必要以上の意味を食に乗せすぎないことなのかもしれない
豪華でなくてもいい
刺激的でなくてもいい
楽しみとして膨らませなくてもいい
ただ
このからだを静かに維持するために
必要なぶんを入れていく
そのくらいの距離で食を見られると
少し楽になる
食べることを愛せなくてもいい
食べることに強い喜びを感じなくてもいい
それでも
からだが続くあいだは
必要なぶんだけ静かに整えていけばいい
仙豆のように
一粒でしばらく済む理想は
たぶん
食を簡単にしたいというだけではなく
欲や執着や矛盾を
これ以上ふくらませたくない
という感覚にも近いのだと思う
今日は
一粒で十日もてばいいと思ってしまう自分の中に
食を軽くしたい静けさがあることを
ただ観ていた
